Goolgeロゴの「フランソワ トリュフォー 生誕 80周年」フランス映画会の異端児だったが?

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今日(2012年2月6日)のGoogleロゴはフランス映画会の異端児とも評される映画監督のフランソワ トリュフォーの生誕80周年を記念するものでした。カンヌ国際映画祭の不必要性を説いて回りなど、フランス映画会だけでなく世界の映画界に波紋を広げた人物だったようです。しかしGoogleロゴにはその姿ではなく別の彼の一面が・・・。

今日のGoogleロゴは海辺を歩きながら感慨深そうに海の向こうを見つめる青年が描写されています。有名なミュージシャンの記念日が取り上げられているのかと思いきや、ロゴをクリックしていみると、フランス映画監督の「フランソワ トリュフォー 生誕 80周年」を記念するものでした。

Wikipediaによると「フランソワ トリュフォー」の波乱に富んだ映画と関連した人生を垣間見ることができます。wikipedia

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若かりし頃

パリに生まれたトリュフォーは両親の離婚から孤独な少年時代を過ごし、幾度も親によって感化院に放り込まれるような、親との関係で問題の多い少年だった。1946年には早くも学業を放棄し、映画館に入り浸り、1947年にはシネクラブを組織し始める。

どうやら恵まれない家庭環境で育てられましたが、映画に出会って深くかかわり合いを持つようになったのが、人生を開花したきっかけだったようです。(それにしても離婚は子供に多大なる犠牲を強いるようです。)

映画の批評家へ

批評家アンドレ・バザンと出会う。以降バザンが死ぬ(1958年)まで親子同然の生活を送る。バザンの勧めにより映画評論を著すようになり、「カイエ・デュ・シネマ」を中心に先鋭的かつ攻撃的な映画批評を書きまくる。とくに「カイエ」1954年1月号に掲載された『フランス映画のある種の傾向』という一文の厳しい論調故に、当時は「フランス映画の墓掘り人」などと揶揄された。

当時の映画を自分の感性から切り捨てる論評を書き続けたようで、これがかえって、彼の名「フランソワ トリュフォー」を映画会に知らしめたようです。(ネット社会も同じで、正論や肯定よりも批判や攻撃のほうが注目を集めやすいのと同じでですね。しばしば炎上になったりすることも。)

しかしこの映画の評論家になることによって映画を”見る目”に磨きをかけ、後に映画監督して開花する礎(いしずえ)となったようです。

映画監督してデビュー

最初の短編映画を発表したのち、1956年、ロベルト・ロッセリーニの助監督となる。・・・1959年、処女長編『大人は判ってくれない』を監督し、大ヒット。トリュフォーとヌーヴェルヴァーグの名を一躍高らしめることとなった。

この処女作「大人は判ってくれない」は彼自身の幼年時代を映画化したものとして話題になり、当時のフランスの家庭問題を浮き彫りにしていたのかもしれません。

映画監督しては比較的早く開花したよです。数々のヒット作を生み出しました。

彼「フランソワ トリュフォー」は1984年の今日(10月21日)に52歳という短い人生をガンによって強制終了させられました。当時のフランス映画会には大きな損失を与えました。

上記のような彼の人物像が今日のGoogleロゴに表されているのかも知れません。しかし異彩を放つ映画監督としてではなく、フランス映画界の行くべき道をいつも模索していた姿が。(もしかしたら彼自身が携わった映画のワンシーンと関係があるのかも?)

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